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執筆者の写真Acchi MooN

宇宙神界からの呼びかけーその2



 

20歳の5月10日。ツイン・レイである相棒さんと出会った。

ツイン・レイの話は、前に記事にしてあります。

 

 

 

『あっちぃは、あっちの人だからあっちぃ。』という解釈をされたりしていた。笑

特に相棒さん。

 

ほんとは、幼少時『わたし』が言えなくて、『あたち』となり『あーち』になり

親、親戚一同から『あっちー』と呼ばれるようになった。

 

 

 

ツイン・レイである相棒さんに出会ったことで、大きく人生が変わっていく。

 

相棒さんとの出会いで、最初の統合が起こる。

今までの恋愛とは全く違う感覚が起こり、何が起こっているのか、この人は、私の何なのだろうか。ツインソウル、魂の伴侶とはどういったものだろうか。

と色々な模索が始まった。

 

サイレント期間に突入。

 

そのサイレント期間突入時起こったのが2度目の目覚め。

 

 

喜納昌吉さん主催のニライカナイ祭り(1993年)

沖縄コンベンション・センター野外ステージにて何日間かに渡って開催された。

 

私の長年の友人に石原岳というギタリストがいて、彼らもそのステージに上がることになっていた。

私は前日から石原家に泊まり込んで、この大イベントに便乗していた。

 

 

 

喜納昌吉さんとはその前にも違う関係でちょっとお会いしたことがあって、

サニアシン(Oshoの弟子)の友人に紹介されて、サニアシン達が営む喫茶店で働かないか?

とのお誘いだった。そのお店にお邪魔した時に、喜納昌吉さんがいらっしゃって、

少し話をした。

喜納昌吉(ウパニシャッド)はインドの和尚ラジニーシ弟子だったと聞いた。

お店の場所が実家から遠く、通うのが難しいことでお断りすることになったが、

こういった関係で、ちょっとその楽しいエネルギーをお裾分けしてもらった感じだ。

 

ニライカナイ祭り期間での石原家は多くの人で賑わうことになった。

 

石原岳という人は、すっごく意識が開けていて人との距離がめっさ近い。笑

これについては、私自身は、驚愕とともに恩恵に預かった。

 

確か、その頃の石原家は、1DKのアパートだったと記憶している。

土間があって土間にキッチンがあって、一段高くなった床がダイニングで、

その奥に一部屋ある。

ダイニングにテーブルなど置いてなかった記憶が。

ダイニングでも雑魚寝してた。

 

 

岳の思い付きで、『あっちぃ車出して!』と言われ、

どこに行くんだろう?と思いつつ車を出した。

 

向かう先はコンベンション・センター。

 

夏場ということもあり、

全国から集まった人々が野宿をしていた。

 

『ちょっと待っててねー』

 

と車を降り、何やら色んな人と話をしている。

 

そして、ゾロゾロと車に戻ってきて、乗せれるだけ車に乗り込む。

 

石原家に送り届ける。

 

また、コンベンションに戻る。

 

詰め込む。

 

戻る。

 

を3度ほど繰り返した。

 

 

最初は知り合いを乗せているんだと思った。

 

が、

 

全く初見の方々だったらしい。(後日談)

 

 

石原家の友人達も本土からやってきて、

総勢20人は超えていたと思う1DKの石原家。

 

いい具合に屋上があったアパートなので、家の中に納まらない方々は、屋上にゴザを引いて寝てたりしていた。

 

家の中も雑魚寝状態。

 

その彼らは、音楽関係、写真家、芸術家、民族関連 etc

遠くはブラジルからの日系人。

全国からこのニライカナイ祭りに民族楽器などを片手に集まってきた方々。

 

面白くないわけがない。笑

 

 

 

ニライカナイ祭りの期間中だったか、その後だったかは覚えていないけど、

まだまだ、石原家の祭りは終わっていなかった。(多分1ヶ月くらいは、人が多かった覚えが。)

 

ふと気づくと屋上で音楽セッションが始まっていた。

 

みんながみんな初見の集まり。

そこで自然にそれぞれの楽器を手に奏で始めた。

 

 

それらが素晴らしい音楽となって、夜空を駆け巡る。

 

うはー。すごい、、、、とその音に耳を傾ける。

 

 

 

ご近所迷惑にもなっていただろう、注意をしに屋上に上がってきた住民が、

その光景にうっとりし、聞き入っていた。

 

演奏が終わったところで、『あーすみません、素晴らしかったです。でももう、夜も遅くなってきたので、音出しはこれで終わりでお願いします。』

 

とのことで、

 

あーすみません。

と了承し、今度は、みんなでゴザに寝っ転がって夜空を眺めた。

 

 

 

私の横には石原家奥さんの本土からの友達。Yさんが居た。

Yさんは、私とは幾つ離れていただろうか年上の方だった。

 

Yさんは、この石原家祭り状態の中、本土から来て紹介された。

 

『初めまして。シリウスから来たYです。』

 

と。

 

は?はい?え?

 

と、なったのを覚えている。

 

 

ちょっとあれな方なのかと一瞬頭をよぎったが、

話をしていたら、とんでもなく普通。普通よりもしっかりしている。笑

良識もあり、社会的にも立場がある感じ。

私の中で色々混乱を来した。笑

 

私は質問をするのが苦手だ。

何をどう質問したらいいのか、

何を知りたいのか、自分でも分からなかった。

 

 

何が、、、、どういった意味で、、、なんでシリウス?

 

 

そのYさんとゴザに寝転がって星を見ていた。

私は視力が弱いので、ぼんやりと見えている星々。

 

何となく心によぎった感覚があった。

UFO出てくるよ。

 

 

え?ちょ、待て。

メガネとってくる!!!

 

 

と、車に戻ってメガネを取ってきた。

 

眼鏡をかけながら、ゴザに寝転がろうと身を横にした途端、目の前に映ったのは、

光る電線。

2階の屋上なので、目線の先に電線がある。

その電線がうっすらと光り、その光が動く。

下で車が通ったんだな。

 

と何となく思った。

 

が、その光がどんどん上空に上がっていく。

 

え。

 

電線超えても光ってるよ。

 

 

 

うっすらとした光、強いていうならステンレスがぼんやり光っている感じ。

 

 

ちょ。。『Yさん! あれなに?あれ!』

 

 

とYさんに尋ねた。

 

 

『あー。UFOだよ。 巨大葉巻型だね。アシュターコマンドの母船だよ。

あの中にアセンデッド・マスターのサナンダさんも居るよ。』

 

 

と、さも見慣れたように言った。

 

その場には、15名前後いた。

そのほとんどが同時に目撃している。

 

その母船は、結構長く飛行していた。

ぼんやりと優しい光を全体から放つその物体は、ライトというものがなく、

夜空で自然に飛行している。

どう見ても生命体という感じであった。

 

私の固定観念が崩れる瞬間であった。

 

UFOって、ギラギラしてて、ビュン!ってジグザグに飛行するもの。って思い込んでいたのである。

 

その真反対を見せられた。

 

『あぁ、、、これが本来の自然なものなんだ。宇宙もひっくるめて、私たちの世界なんだ。』

と目から鱗がポロポロと落ちた。目覚めの瞬間である。

もっというなら、目隠しされていたものが取り攫われた感じだ。

 

 

母船がどんどん小さくなって過ぎ去っていったその飛行路を今度は、

同じステンレスな光を放つ三角形の形をした小型船が7機、編隊を組んで飛んでいった。

 

 

『お。小型船だね。』

 

とYさん。

 

 

 

肝心なこの家のボスである岳は、その時下階にいて、ちょうどUFOが見えなくなっていくところで屋上に上がってきた。

『え〜〜まじ?見たかったーーーーー!!』

 

ということで、次の日にそのUFOたちが向かっていった方向にある伊計島へみんなで行くことにした。

 

車で走行中も度々見える飛行物体。

 

伊計島の浜辺で夜を明かすことにした。

 

夜の海を眺めていると、漁船であろう明かりが水平線沿いに幾つか見えた。

 

あれは、漁船だねーと言いながら眺めていると、

その明かりがどんどん水平線を越え、上空に上がっていく。

 

 

え。まじか!?

 

 

となった。

 

いくつかのその光の玉が、前後左右に浮遊しながら星々が光る上空に上がっていく。

 

そのうち星と混ざって、区別ができなくなった。

 

いつの間にか、みんな寝落ちして、夜が明けた。

 

 

私の人生の中でやっぱり強烈な出来事であった。

 

 

この時のことを石原岳との対談動画にするつもり。

 


          https://www.contacttokyo.com/artist/17805/

 

 

 

続く。

 

 

 

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